女であるということ

悪い女ほど、清楚な服が、よく似合う。

これは役得か

私には苦手なことがたくさんある。

今日はそんな、苦手なこと詰め合わせセットみたいなことが仕事で起こったという話をしたい。

 

まず、私は新しい場所に行くのが苦手だ。

初めて入るお店なんかは特に苦手で、1人で入る場合は出来るだけ店の雰囲気や注文システムを下調べして、「よし、入るぞ!」と覚悟を決めてからでないと入店出来ない。

私生活でさえそんな私が、普段の仕事場ではない初めて訪れる場所で緊張しないわけがない。案の定借りてきた猫状態で、自分の居場所の無さに心が折れそうだった。

 

次は、苦手と自覚すればするほどつらいコミュニケーションが襲ってきた。

アラサーにもなって人見知りと公言するのはこれ如何に、と思いつつブログだからはっきり言う。私は人見知りだ!!!

正直、仕事に対するモチベーションも何もなく、昔の言われ方をするなら『単なる腰掛け』程度。私は、やる気の姿勢を見せておこうという気もないクソ人材なので、初めて会う人に質問をしたり世間話をしたりといったイベントは起こさない。いや起こせない。過去に、テンパりすぎた末本当に意味がわからない受け答えをしてしまった前科は見過ごせない。

 

続いて私の苦手なことランキング上位、人前に立つこと。

人に笑われるくらいに緊張しやすい私が人前に立つなんて、今思い出しただけでも腹痛ものだ。中学生までは、クラスで行う自己紹介も、喋った内容の記憶をなくすくらい重度だった。

前述した二つの苦手なことに対しての思いは”失敗したくない”であり、失敗が出来ないと思っているからまた緊張もしてしまうといった悪循環が起こってしまっている。

だがまあいい歳になり記憶を飛ばすことはなくなったので、人前に立って何か話すならまだいい。

 

今回最悪だったのは、若さ・女・容姿を利用して愛嬌を振り撒くとかいう仕事である。

どんな仕事も愛嬌があればある程度上手く立ち回れるだろうが、自分自身をアピールする職種ならいざ知らず、私はそういう自分をアピールする仕事に向いていないと言う自負がある分本当にしんどかった。声の調子は上下して、笑顔を作ろうとすればするほど引き攣っていくのが自分でも分かったがどうしようもない。自分の容姿に関して猛烈なコンプレックスを抱いている分、こういったことは本当に苦手だ。

結果的に会社の利益には繋がり、若い女であることや容姿を「役得だと思えばいい」と言われたが、自分の意志でしていないそれは搾取ではないだろうか。仕事だからと断ることが出来なかった私はそう感じた。

 

よく、『減るもんじゃない』と言われるが、確実に私の心の何かは減っている。その何かを増やすためにはどうしたらよいのだろうか。

 

 

 

 

夜の装い

普段から本を読む習慣がない私は、自らに強制的な読書タイムを設けることがある。今年の目標は週1冊、年間にすると52冊読了することだ。

 

なぜ小説を読むのか?それは読者側である私自身が長年疑問に思っていることだ。

勉強や課題に必要だからという点を除けば、小説を読むということは私にとって生活の一部とは言えない。時折思い出したように活字を読みたくなる時があるのだが、それは良いものも悪いものもネット上に溢れており、携帯電話が普及してから特別本を開く必要性がなくなった。私が物心ついた時から当たり前に携帯電話があり、更に中学生あたりでスマートフォンが登場したので高校生になると自然と小説から離れていった。

とは言っても中学生の頃は年間50冊以上は読んできたので(主にライトノベルではあるが)、そのせいかたまに入る図書室の雰囲気が好きでテスト勉強そっちのけで文芸の本棚をうろついたり、友人の持っている本に興味が湧くので貸してもらったこともあった。そこで初めて作品を読んだことがきっかけで湊かなえのファンになったりと、ちょっとした影響はあったが基本的には脳内の端っこの方に小説が追いやられているという状態であった。

 

 今から4年前。社会人になってから4年目。その頃から少しずつではあるがまた小説を読み始めた。その時のことを思い出してみる。

その頃は仕事関係で抱えた様々な問題を捨てた直後で、少し心に余裕が出来た時期だった。そんな時に友人との待ち合わせ場所に指定されたのが書店である。

当時漫画は学生時代から変わらず読み続けていたが、漫画を置く場所に困って電子書籍で買うようになっていた。数少ない手持ちの漫画も、ネットで注文して自宅に届くのが常だったので書店に入るのは久々だった。

入ってすぐに新しい本特有の香りが鼻先を掠め、久しぶりの好きな匂いに導かれるようにして無意識に書籍の売り上げランキング順にディスプレイされている棚に足が向いた。本自体は変化しても配置は以前と変わらずきれいに並べられている。

聞いたことのあるタイトル。心踊るフレーズの帯。それらを手に取ってみると少し余裕が出来ていた心が弾んで、じわじわと物語を欲する気持ちが湧いてきた。その感覚が身体を満杯にした時にふと、疲れた心はそういう感覚を無かったことにしまうのかもしれないと思った。

そこからはすぐに、気になった帯に釣られて荻原浩の「噂」を購入した。この小説、この結末が無かったら、私は今こんな風に目標を設定してまで本を読むということをしなかったのではないだろうか。つまり、どうしようもなく好みだったのである。

 それからは自宅で埃を被っていた本を引っ張り出してきたり応援している舞台俳優が読んだもの買ったりと、少しずつ読書の感覚というものを取り戻していった。

 

本を読むのは大抵日が沈んだあとだ。外の暗闇が、私の心を良い意味で閉鎖的にしてくれる。そうすると良くも悪くも登場人物に感情移入しやすくなる気がして、自分の心を揺り動かすその小説を一層好きになる。

 

なぜ小説を読むのだろう。虚構とはいえ自分以外の人の考えをみたり人生をなぞったり、ここではない世界を想像することがただただ楽しい。今はこんなに当たり前のことしか言えないが、私にとっては心の余裕を確かめる大切な手段であることは間違いない。

 

噂(新潮文庫)

噂(新潮文庫)

 

 

出不精が浅草に行った話

先日、中学生ぶりに浅草に行ってきた。

最近の浅草はインスタ映えの食べ歩きグルメや、可愛い着物でフォトジェニックな写真を撮ることが出来る街になっている。かと言って古きものが消えつつあるのかと言えば、それもまた違う。食べ歩きの品だって団子に餡子やフルーツなんかが乗っているものがあったり、ハート型カステラと苺が交互に恋みくじ付きの串に刺さっていたりと、古きと新しきのいいとこ取りで、それ目当てで浅草に降り立つ人も増えている。

それらの写真をSNSで見ながら行こうかと思ったりしていたが、なんせ私は自他共に認める出不精であるためなかなか叶わずにいた。

そんな私がなぜ浅草に出向いたのか。しかも一人ぼっちで。

その理由は、浅草演芸ホールで行われている講談師神田伯山の真打昇進襲名披露興行を見に行きたかったからだ。

2017年11月、笑点の演芸コーナーで二ツ目だった当時神田松之丞の講談をたまたま見て、それから興味を持つようになった。今思うとこのたまたまでラジオをクラウドで全部聞いたり、結局上京して初めての寄席に行ったのだからメディアの力は偉大なのだと実感する。

開場16時40分の夜席の公演だったので、10時半前に夜席の整理券を求めて作られた列に並んだ。番号は250番ほど。席数は328、立ち見含めて450なので半分以上捌けていた。

とりあえず座れることに安堵し、そしてどうやって暇を潰そうか考えた。時計を確認するとまだ11時前で家に帰るのも中途半端だったので、前述したインスタ映えの食べ歩きをすることにした。

 

インスタで「浅草グルメ」と検索するといくつか興味の惹かれるものがあった。

まずは抹茶クレープ専門店。これは整理券がないと食べられない代物。また整理券かと多少うんざりとしたため息をつきながら、お店の住所をマップアプリに打ち込みいざ向かう。

向かっている最中の街並みは、とても安心感のある下町の風情を醸し出していた。年齢層高めの居住地のなんとも言えないあのほっこりとする空気はどうやって生まれるのだろう。

そしてマップ上に記載されているお寺が多すぎて、ある道を通る時は両側お寺だらけだった。エレベーターや自動ドアのあるお寺。それも二重の自動ドア。時代とともにお寺も便利な建物になっていくんだな。

そんなことを思いながら到着したところでトラブルが発生。

公式に載っている住所が間違えていて、全然関係の無い高校の裏の道に到着してしまったのだ。改めてマップを開き今度は店名を検索すると、なんと来た道とは逆方向。歩いた20分と体力を返して欲しい。

それからまた30分近く歩き、ようやく目的地に到着した。またお店自体も狭い路地にあり見つけるのにも時間を要したが無事に整理券を獲得出来た。自分の番号まで時間があるので別の食べ歩き店へ向かう。無事到着し、1時間近く歩いたからチャラだと言わんばかりに大きさのある台湾唐揚げを食した。

 

それから浅草寺に向かった。台湾唐揚げのお店が仲見世の横道にあったので、雷門まで歩く気力が無くそのままお寺の方に向かった。中学ぶりの浅草寺は雷門のイメージが強かったが、途中の宝蔵門(仁王門)と呼ばれる門も大きく立派だった。門をくぐって参拝しようとしてふと神社と参拝方法が違うことを思い出し、ネットで調べてきちんと参拝出来た。現代っ子の私が言うのもなんだが便利な世の中ね。

 

それからクレープの整理券の時間が来たので向かう。その専門店のクレープ生地には抹茶が練り込んであり、白玉ときな粉が入っているものやクリームブリュレなど全部で4種類の中から選ぶことが出来た。出来上がりのクレープを写真に撮り、まあまあ強い風に吹かれながら3、4口食べたところで私の口が甘いものを拒否し始めた。たっぷり甘いわけではなくむしろ普通より甘さが控えめだったと思うが、上部がクリームたっぷりだということもあり、食べ終わる頃には軽い吐き気を覚えた。1時間前に食べた台湾唐揚げが恋しい。

 

あとはカフェで神田伯山ティービーチャンネルを見たりと適当に時間を潰していざ浅草演芸ホールへ。

 


【密着#01】松之丞が六代目神田伯山になった日【毎日更新】【神田伯山ティービィー】

 

 

整理券の列整理を始めた頃にはもう少しで札止めというところだったと思う。

初めての寄席。あがり症の私は初めての場所で終始緊張するんじゃないかと思っていたが、蓋を開けてみれば緊張したのは入場だけであとはマイペースにゆったりしていた。過去の趣味でいろいろな現場(会場)に行っていたのが経験になっていたらしい。

 

そんなこんなで始まり、生の宮治さんと小痴楽さんを見れて満足。宮治さんに関しては高校時代に芸術鑑賞会的な行事で一度生で古典落語を聞いている。何をやったとか細かいところは覚えていないのだが、あの頃の記憶に残ってるのは落語って面白いってことだ。面白いって偉大だ。

時間としては長くなかったけれど、トップを走る先生方師匠方の高座を見聞き出来てなんだか言葉に出来ないくらい良い経験をさせてもらったとでもいうんだろうか、そういう気持ちになった。本来寄席というのはそういう感情の湧き立つところではないのかもしれないが、初めての寄席、そして真打昇進襲名披露興行ということで勘弁してほしい。

そして8時を過ぎた頃、大本命の神田伯山先生の高座。ライブ感のあるまくらで笑わせてもらった。今日は何をやるのかと期待が高まる。

この日は赤穂義士伝から赤垣源蔵・徳利の別れ。赤穂義士伝のテーマは別れという前振りを分かりつつも、兄弟の永遠の別れに涙腺が緩んでしまった。

 

帰り道、凄かった楽しかった行って良かったという気持ちでカサカサだった心が潤った感じがした。素晴らしい伝統芸能を周りに布教したいなあ、と初心者が思う夜。余暇は寄席に行こうかな。

『頑張る』ってなんだ。「頑張れ」って罪だ。

頑張る、に明確な定義があるのなら教えてほしい。

人はみんな頑張って生きてるんだよって、綺麗事を抜かさないでほしい。

安易に頑張れって言うけど、何をどう頑張ればいいか教えて欲しい。

 

辞典に意味は書いてあるけれど、それは狭義であって私の頑張るとは違うのかもしれない。みんながどうかは知らないが私はよく一寸先を見失う。そんな時にかけられる頑張れという言葉に何度打ちのめされたことか。

オトナならば誰にでも分かっていることがある。それは、世の中には頑張っても報われないことが多すぎるってこと。どうしようもないこともある。神様なんて信じちゃいないけれど、人間に複雑に上下する心を創ったことは神様の汚点ではないだろうか。

もっと単純に生きられたら、どんなに楽なんだろうか。単純に生きれるオトナなんていないのだろうけど。

特別ではないわたし、あなた。

先程録画されていた令和家族というNHKの番組を見ました。里親制度を利用している家族を関ジャニ∞横山裕くんが訪ねるという内容でした。家族の在り方を考えるきっかけになりました。

私は3歳頃に両親が離婚し、それからずっと父子家庭で育ちました。父が自分の時間などを犠牲にして、私と4つ歳の離れた姉を育ててくれたことに心から感謝しています。20歳になる前、父が私たちを育てたのは義務だったからだと話していて少なからずショックを受けましたが、今でも私の為に色々してくれる父のことがファザコンだと自負しているくらい好きです。むしろ義務だったとしたらやり過ぎなくらい甘えさせてくれたと思います。

対して母ですが、昔から1年に1、2回連絡を取り合ってはいました。不登校気味なのが原因で父が怖かった時には、会いたいと言って部屋で泣いたりもしました。中学にあがるころにはもうそんなことも無くなっていましたが、逆にだんだんと母親ではあるけれどお母さんと言う方が難しいと感じるようになりました。その時の母は再婚していて、その人との間に子どもも生まれていました。だから余計に自分のお母さんという意識が希薄になったのかもしれません。今は昔より連絡も取って会う機会も多いのですが、ふと『母は私の一番仲の良い友達の名前も知らないんだよな』と思ったりします。

今は2組に1組、つまり半分の人が離婚する世の中です。ですから私のように片親の家庭で育つ子どもも普通のこととして認識し始められていると思います。その中で、冒頭の里親制度や養子縁組制度などでもそうですが、無償で愛情を与えてくれる存在が一番大切だと思うのです。当たり前のことだと一蹴する方もいるかもしれませんが、あまり愛情を受けてこなかった子どもと愛情を受けすぎた子どもはそのことに気付けないのです。

 

通話とバッテリー

お題「今日の出来事」


今日お昼頃に思い立って、仕事が終わったその足でスマートフォンの機種変更をしてきた。ここ最近スマホのバッテリーの減りが尋常ではなく、新たに購入した独立型イヤホンを使うのも戦々恐々だった。モバイルバテリーを2つ持ち歩いてはいるが、正直使い勝手が悪い。
そして遂に今日、仕事の電話を取ると無音状態。スピーカーにすると聞こえるという謎が2回も起こり、設定か何か知らないが自分で解明することが面倒臭く、バッテリーの問題も相まってどうせなら機種変更が出来るようになった今が替え時ではないかとショップに行ってきた。(仕事の電話は取りたく無いのが本音ではある)
最終的にデータが消えたなら消えたでまあよしと思いわかり易い説明を受けたが、ここ数年のスマホに興味がなさ過ぎていろいろな機能が初めまして状態だった。ただカメラ部がタピオカと揶揄されていたことは知っていたので、製品を紹介されたときに「おお、タピオカですね」と思わず声をあげてしまった。店員さんは笑って同意してくれたが、その優しさが逆に私を恥ずかしくさせた。
結局比較的安価な方の製品を購入する運びとなり、無事契約を済ませて帰宅した。
それからマイペースにデータの引き継ぎを行なっていたが、まだ引き継げていないものがあるか確かめる手段が無いことに気づいたので、早々に諦めることにした。きっと重要でなかったものだろう。
明日は上京して約3ヶ月にして、やっと電化製品が届くので今夜は早めに寝よう。明日は家にアイスと牛乳が常備出来る喜びを感じながら、オタクゴトの入金をしてくる。
ちなみにこれは私の中で充実している休日に分類されることになるだろう。

推すこと、そして病んでる女

新しい推しが出来ました。彼を初めて見てからもう3年は経っているでしょうか。2週間くらい前に見た舞台で、いつの間にか彼に落ちていました。その舞台はシリーズモノで毎回観劇しており、なんならその舞台に出ている別の推し目当てで彼とも2年連続共にイベントで年越しをしていることに改めて気付きました。友人がとったチケットでしたが、2日間入った結果、結局休演日除くソワレに1週間毎日入り続けることとなりました。めっちゃ笑顔でお手振り二回もくれたり、手を差し出す振り付けでこっち向かってやってくれたり...些細なことだけれど、本当にどんどん谷底が近くなっている気がしています。
最近は可愛くてカッコ良くてもうどうにかなっちゃいそうに愛しい日々を過ごしておりますが、タイミングが悪く、彼のバースデーイベントには参加できませんでした。確か3部まであって、チケットの抽選は終了していて、そもそもその日は仕事で...。でもとにかく報告ツイートだけを楽しみに、休憩無しの9時間労働に勤しみ帰宅しました。早くツイートしてくれないかなあと楽しみにしていると、新しい推しと同じ事務所で、友人の推しでもあり私も好きな俳優が日課のブログを更新したと知らせるツイートが。添付写真にはその新しい推し。めちゃくちゃビジュが良くて心の中で泣いて合唱しながらブログを開くと、そこには推しのバーイベにゲスト参加したとの報告。
その瞬間、なんで私はここにいないいのだろうという疑問が浮かび上がりました。しかも今日に限ってまあまあ過酷な労働をしてきたというのに。
なんの仕打ちなんだろう??酒を煽っていた私は、そう思いながら泣いてしまいました。たった2週間だというのに、人に依存するしか脳のない私は彼を心の拠り所にしてしまっていたのです。今日参加出来たならどんなに幸福に満ち溢れていたのだろうと考えてしまいます。バーイベに参加した人のツイートを見ることも嫉妬でどうにかなってしまいそうで、推しの報告ツイートを見ることもそこに行けなかった悲しさで泣いてしまうだろうなと思い、怖くてツイッターを見ることが出来ません。
相も変わらず私はとんでもないブスで着飾っても所詮は木偶の坊のデブで、仮に彼の目に私が映ることがあれば、お金を払ってでも病院で治療していただきたいレベルではありますが、これから彼を本当に推していけるのかという不安と申し訳なさで死にそうになっているのです。彼からすれば、新規の女が知ったこっちゃないんだろうですが。
今年は同じ空気の中で一緒に年越しすることも許されないので、今のところは来年のツアーオーラスを糧に頑張ろうと思います。
このクソな気持ち書いている最中にツイートしやがった(;_;)「みんな出逢ってくれてありがとー!」だって、、こちらこそありがとう。新規がバーイベ行けないだけで勝手に病んでごめんね。また会わせてね。