女であるということ

悪い女ほど、清楚な服が、よく似合う。

夜の装い

普段から本を読む習慣がない私は、自らに強制的な読書タイムを設けることがある。今年の目標は週1冊、年間にすると52冊読了することだ。

 

なぜ小説を読むのか?それは読者側である私自身が長年疑問に思っていることだ。

勉強や課題に必要だからという点を除けば、小説を読むということは私にとって生活の一部とは言えない。時折思い出したように活字を読みたくなる時があるのだが、それは良いものも悪いものもネット上に溢れており、携帯電話が普及してから特別本を開く必要性がなくなった。私が物心ついた時から当たり前に携帯電話があり、更に中学生あたりでスマートフォンが登場したので高校生になると自然と小説から離れていった。

とは言っても中学生の頃は年間50冊以上は読んできたので(主にライトノベルではあるが)、そのせいかたまに入る図書室の雰囲気が好きでテスト勉強そっちのけで文芸の本棚をうろついたり、友人の持っている本に興味が湧くので貸してもらったこともあった。そこで初めて作品を読んだことがきっかけで湊かなえのファンになったりと、ちょっとした影響はあったが基本的には脳内の端っこの方に小説が追いやられているという状態であった。

 

 今から4年前。社会人になってから4年目。その頃から少しずつではあるがまた小説を読み始めた。その時のことを思い出してみる。

その頃は仕事関係で抱えた様々な問題を捨てた直後で、少し心に余裕が出来た時期だった。そんな時に友人との待ち合わせ場所に指定されたのが書店である。

当時漫画は学生時代から変わらず読み続けていたが、漫画を置く場所に困って電子書籍で買うようになっていた。数少ない手持ちの漫画も、ネットで注文して自宅に届くのが常だったので書店に入るのは久々だった。

入ってすぐに新しい本特有の香りが鼻先を掠め、久しぶりの好きな匂いに導かれるようにして無意識に書籍の売り上げランキング順にディスプレイされている棚に足が向いた。本自体は変化しても配置は以前と変わらずきれいに並べられている。

聞いたことのあるタイトル。心踊るフレーズの帯。それらを手に取ってみると少し余裕が出来ていた心が弾んで、じわじわと物語を欲する気持ちが湧いてきた。その感覚が身体を満杯にした時にふと、疲れた心はそういう感覚を無かったことにしまうのかもしれないと思った。

そこからはすぐに、気になった帯に釣られて荻原浩の「噂」を購入した。この小説、この結末が無かったら、私は今こんな風に目標を設定してまで本を読むということをしなかったのではないだろうか。つまり、どうしようもなく好みだったのである。

 それからは自宅で埃を被っていた本を引っ張り出してきたり応援している舞台俳優が読んだもの買ったりと、少しずつ読書の感覚というものを取り戻していった。

 

本を読むのは大抵日が沈んだあとだ。外の暗闇が、私の心を良い意味で閉鎖的にしてくれる。そうすると良くも悪くも登場人物に感情移入しやすくなる気がして、自分の心を揺り動かすその小説を一層好きになる。

 

なぜ小説を読むのだろう。虚構とはいえ自分以外の人の考えをみたり人生をなぞったり、ここではない世界を想像することがただただ楽しい。今はこんなに当たり前のことしか言えないが、私にとっては心の余裕を確かめる大切な手段であることは間違いない。

 

噂(新潮文庫)

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