女であるということ

悪い女ほど、清楚な服が、よく似合う。

いつの間にか似合う服だけを選ぶようになった

いつからか好きな物を着るのではなく、似合う服を着るようになった。ショップで服を手に取り、無意識に「これ私着てそう」と思う。そして私の安物のチェストの中にはそういう服が溢れている。

元来私は可愛いものが好きだ。中学の頃はLIZ LISAが好きで、大抵自分が可愛いと思った服を買ってもらって着ていたし、今でもdeicyやEATMEが大好きだ。

しかしこれらの可愛い服は、肌色や身長や顔の作りやらなんやら、まあ端的に言って似合わないのである。雑誌LARMEを買うことすら身の丈に合わないと思っており、今ではSNSで表紙を眺めるだけになっている(表紙だけでもモデルさんは可愛くてキュンキュンするのだが)。

そんな私の唯一の救いは、クール系も好きというところだ。これは着られる。なぜなら冒頭に書いたように「これ私着てそう」な服だからだ。

20代になり、街を歩く女性の見た目と服装がミスマッチなのを見ると「好きな服を着ていて凄い!」と思うようになった。それは私が出来ないことだからこその羨望であり、私のように見た目のイメージに迎合しているたくさんの人の中で、一際キラキラしているように見えた。

つまり何が言いたいかと言うと、好きな物を着るだけで他人からはどうか知らないが自分の気分は上がる。今よりも歳を重ねたら出来ないこともあるので、残りの人生で一番若い今日をもっと楽しんだ方がいいんじゃないかという提案だ。