女であるということ

悪い女ほど、清楚な服が、よく似合う。

私は夢に捨てられたい

最近何時に寝ても朝6時前後に目が覚めて、なんとも言えない嫌な気持ちになる。結局二度寝かますんだが。

寝ている間、夢は見ない。

ここ1ヶ月夢という夢を見た記憶が無い。人間は夢を毎晩見ていて、起きた時にそれを覚えているかどうかだという話もどこかで耳にしたことはあるが、それは自分の記憶力ではどうしようもない。

 

近況のようなものを書いたが、今回は上記のような寝ている時に見るものではなく、将来なりたいものやしたいことの方の夢について書こうと思う。

物心ついた時から「将来の夢は?」という問いを投げかけられ、進学と同時にそれは体に張り付いて離れなかったりする。

そういえば、私が幼い頃になりたかったものはなんだろう。みなさんは覚えているだろうか?卒業アルバムに書き記したものではなく、みなさんの記憶の中にある夢はなんだったのか。

結局私の記憶は曖昧で、お花屋になりたかったのかはたまたプリキュアになって友達を救いたかったのかは覚えていない。小学校の卒業アルバムから掬うとすれば、その当時の夢は未だに変わっていないし、進学時に諦めてから何も始まっていない。

実現に向け動き始めて、そして挫折をすれば夢を諦められるだろうか。いや、決してそんな事はない。挫折しても立ち上がる人はいるし、夢を叶える人だっている。いつでも追うのを辞められるという、続ければ終わりの無い怖さを大抵の人は知っているのだろうか。

私は同じ場所で足踏みをしているだけの人間であるが、いつも夢は私に寄り添っていて、それと歩くのも捨てていくのも私の意思でしかないと知っている。

早く捨ててしまえたなら一端の人間になれたのだろうかと思う夜、私は今日も夢に捨てられたい。